生 涯

誕生

1935年、ミシシッピ州テューペロに生まれる。父ヴァーノンは18歳の農夫、母グラディスは22歳でミシン工場勤めという貧しい家庭だった(双子だったが兄弟は死産)。
母グラディスはエルビスを溺愛し、2人はどこへ行くのも一緒だった。熱心なクリスチャンだったグラディスは、毎週日曜日、エルビスを連れて教会に通った。エルビスは5歳の頃から教会の聖歌隊でゴスペルを唄っていた。

11歳で地元ののど自慢大会で2位となり、父からギターを買ってもらう。これを機に彼は自宅の地下洗濯部屋で練習し音楽に熱中していった。13歳の時にテネシー州メンフィスへと引っ越し。黒人の労働者の多いこの街で黒人音楽の影響を受ける。

1949年ハイスクール入学。この頃からエルビスは髪の毛をのばしオールバックにし、もみあげも長くした。派手さが目立ち始め同級生からも孤立、悪い評判が流れ始めた。しかし高校最後の年、文化祭(?)でジョン・レイヤーの“「キープ・ゼム・コールド・アイシー・フィンガーズ・オフ・オブ・ミー」を歌った際は、全員総立ちで拍手が鳴りやまなかった。

高校卒業後はトラック・ドライバーとして働いた。週給は41ドル。稼いだお金はほとんど母親に渡していた。

デビュー

1953年、18歳の時、母の誕生プレゼントとして「マイ・ハピネス」をメンフィスのサンスタジオで4ドル払って録音したことから、サンレコード創始者のサム・フィリップスの目に止まり、1955年に「ザッツオールライト」でデビュー。すぐさまメンフィスでローカルヒットとなる。

1955年、エルヴィスの両親はRCAレコードのプロデューサー・パーカー大佐と契約し、大手レーベルRCAレコード所属となる。1956年1月には「トミー・ドーシー・ステージ・ショウ」でテレビに初出演し、黒人のR&Bを歌う。そこでプレスリーは白人らしからぬセクシーなパフォーマンスを披露、瞬く間にティーン・エイジの熱狂的支持を受ける。しかし腰を振って唄うその姿は「いかがわしい見世物」として世の大人たちからは忌み嫌われることに。

大スターへ

移籍後初シングル『ハートブレイクホテル』リリース。またたく間にチャートの1位に達し大ヒットとなる。

1956年にパラマウントに招かれ、同年FOXから「やさしく愛して」で映画デビュー。興行的に大ヒットして以降、多くの作品に主演。「ミュージシャンが主題歌を引っさげて出演する」という新しい映画のビジネスが生まれた。

徴兵

1958年、徴兵令を受ける。エルヴィスもスター用の特例任務が用意されていたが、パーカー大佐がエルヴィスの好感度を上げようと特例措置を拒否し、エルヴィスもこれに同意する。駐留先は西ドイツ。ここで空軍大佐の娘、プリシラと知り合う(プリシラとは1967年に結婚し1973年に離婚。愛娘リサ・マリーはマイケル・ジャクソン、ニコラス・ケイジと結婚したが共に離婚)。
プリシア・プレスリー出典 contactmusic

人気の衰退

1960年、除隊後初の映画となる「GIブルース」に出演し大ヒット。ここでパーカー大佐は映画会社と長期の映画出演契約を結んでしまう。映画会社は「エルヴィス主演」というだけで収益があげられるため、低予算な映画を量産。これが影響してエルヴィスはまともな音楽活動ができなくなってしまう。しかし俳優として演技ができるわけでもなく、質の低い作品は次第に飽きられるようになる。ステージからも遠のき、エルビスは再起不能と噂されるようになった。

復活

エルヴィスの映画に対する不満は次第に積っていった。1968年、パーカー大佐の反対を押し切りテレビ番組「ELVIS」に出演。1969年には念願のライブ活動を再開する。ラスベガスのショーではパーカー大佐は派手なステージを演出しようとしたが、エルヴィスはこれを拒否。バック・バンドを見えるところで演奏させて、女の子もはべらせない音楽中心のステージを演出し、大成功を収める。翌1970年の同ショーを記録した「エルビス オン ステージ」は世界的ヒットとなり『キング・オブ・ロックンロール』は完全復帰を果たす。
1973年には初のソロ歌手による世界衛星中継「アロハ・フロム・ハワイ」を放送。歌手としても従来のロックンロールのほか、カントリー&ウェスタン、ゴスペルにも活動を広げ、保守派層にも愛される偉大な歌手となっていった。

晩年のエルヴィスはストレスからくる過食症が原因で体重が激増し、長期の薬物摂取により体調が崩れていた。1977年メンフィスの自宅(通称グレイスランド)で死亡しているところを発見された。死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と発表された。42歳という若さであった。

エルヴィスが亡くなった翌日には推定13万人がグレイスランドを取り囲んだ。葬儀にはジャクリーン・ケネディ元大統領夫人、ジョン・ウェインらアメリカを代表する顔ぶれが参列した。
一時遺骨はメンフィスの墓地に納骨されたが、遺骨を奪おうとする事件が後を絶たず、現在はグレイスランド内に両親とともに眠っている。

今でも命日である8月16日をメインに1週間、エルヴィス・ウィークとして様々なイベントが開催されるが、最大のイベントは16日夕刻から翌日にかけて行われるキャンドル・ライト・サービスで、5万人を超える人々が参列する。